MIDORIのいまさら聞けないイタリア都市の魅力

「トリエステの思い出」

皆さん、こんにちは!Buongiorno!ブオンジョルノ!

お元気でお過ごしですか?

この前、ブログを書いてから、時間が少々経ってしまい、

ごめんなさい!

たくさんのことを一度にできない性格をしているんですよね。

一つの事を始めるとそれしか見えなくなるし。。。

あんまり、言い訳ばっかりって良くないので

本題に入りたいと思います。

今日は、イタリアに生活していた時のことを

お伝えしていきたいと思います。

以前もちらっとブログでお話ししたことがあるのですが、

私はイタリアのトリエステ市という街に約7年間

住んでいました。

ということで、どうしてイタリアのトリエステ市に住むことに

なったのか、書いてみようと思ったんです。

あんまり、お伝えしてきたことがなかったのですが、

私は元々、パイプオルガン奏者になるために

ドイツのハンブルグ芸術大学に留学していました。

その時に知り合った元旦那さんがトリエステ出身の

ピアニストだったからというのがトリエステ市に

住むきっかけだったのですが、

イタリア語を習ったこともない私は

元旦那さんと一緒にトリエステについて遊びに行くたびに

周りの話すことが全然分からずに、ポカーンと

口を開けたまんまな状態でした。

24歳くらいだったので、周りの人も可愛がってくれたし、

全てのことが初めての経験で楽しかったけど、

言葉が話せないとか、周囲の人の言っていることが

分からないってこんなにつらいことなのかと

その時、何度も思い知らされました。

日本では、自分の意見をストレートに言うと

良くないという風潮や考え方がありますが、

ヨーロッパでは自分の主張や意見がない人はあんまり重要視されないし、

自分を持っていない人と見なされてしまいます。

そういう雰囲気の中で、話せないって

結構きついんですよね。

でも、今、思い返すといろんな思い出があるし、

今と同じように、あの時も周囲の人や友人たちに

たくさん助けられていたんだなってすごく分かります。

例えば、元旦那さんのお母さん。

私にとっては義母という存在なので

嫁姑の立場なのに、すごく心が温かくて

私のために一生懸命な人でした。

私はあんまり人に近づけない性格をしている上に、

文化の違いもあって、彼女のことがそんなに

理解できなかったけど

今思うと、本当に素晴らしい人だし、

この世の中で一番尊敬している女性です。

ということで、次回は元義母と初めて

出会った時のことを書いていこうと思います!

それではまた!ちゃおちゃお!

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